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『小説』 無題 8

「わかりました。じゃあ、私の人生、いくらで買ってくれますか?」

 

結子は、この浜木という男が、いったい何を考えているのか知りたくなった。

 

「生活費は、すべて出すから、うちに来て欲しい」

 

「その条件では、認められません。ちゃんと、金額で示してください」

 

不毛な日々を過ごしていた結子は、新しい仕事を見つけたと思えばいいと、割り切ることにした。

 

浜木は、考え込んでいた。

 

いったいいくらと言えば納得してもらえるのか、決めかねている様子だった。

 

「1億。」

 

「1億?それはちょっと・・・」

 

「と、言いたいところだけど、7,680万。月に20万円として、65歳までの金額よ」

 

「家賃とか、生活費を差し引いてもらえないかな。そうしないと、さすがに厳しんだ」

 

浜木は、自分が言いだしたこととはいえ、思いもかけない展開に戸惑っていた。

 

「わかった。じゃあ、3,840万でいいわ」

 

それでも浜木にとって、楽な金額ではなかった。

 

「一括では払えないけど、どうすればいい?」

 

「月に10万円くれればいいわ。それを毎月、65歳まで」

 

「それなら、何とか大丈夫だけど、65歳になったらどうするの?」

 

「これは、ビジネスよ。65歳が定年だから、その後は、好きに暮らすわ」

 

結子にはもともと、家族などいない。

 

ずっと貧乏で、食べるものも、ろくに与えられなかった。

 

父も母も、それぞれに不倫相手がいて、結子はいつも、たった一人で、空腹と戦っていた。

 

ある日、父が「これで好きなものを買いなさい」と言って、千円札をくれた。

 

今までの中で、一番やさしい顔をしていた父を見て、結子は嬉しくなった。

 

それが、父との最後の会話になるとも知らずに、結子は、喜んで買い物に出かけた。

 

大好物の鶏のからあげを買って、家に戻ると、家の中はめちゃくちゃに荒らされていた。

 

父が借金をして、取り立てに来た男たちが、金目のものを持って行ったのだと、母から聞かされた。

 

母は、ブラウスのボタンが外れ、胸があらわになっていた。

 

「あいつら、あたしが寝てやろうってのに、目もくれないんだ。もしその気があるなら、風俗で稼げって言うんだよ。なんであたしが、あんな男のために、体売らなきゃならないんだよ。冗談じゃない」

 

母は、怒りに震えていた。

 

その怒りは、父に対するものでも、家を荒らされたからでもない。

 

自分を女として見てもらえなかったからだ。

 

母は、どんな男でも、口説き落とせるという自信があった。

 

母にとって、体をさらすことは、たいしたことではなかった。

 

むしろ、男が自分の体を求めてくることが、最高の喜びだったのだ。

 

自分には価値がある、自分を必要としている人がいる、と母が唯一、実感できる瞬間だったから。

 

その夜、母は男と家を出て行った。

 

次の日も、その次の日も、母は帰って来なかった。

 

空腹と寂しさを抱えた結子の傍らには、あの日のからあげが、転がっていた。

 

父と母がいなくなった数日後、小学校へ来ない結子を心配して、担任の先生がやって来た。

 

結子は、担任の先生が嫌いだった。

 

世間体とか、保護者とか、つまらない事ばかりに神経を使う、くだらない先生だと思っていたからだ。

 

教師としては、当たり障りのない、ありふれた事しか言わない。

 

みんなは、先生が大好きだったが、結子だけは違った。

 

それを感じ取ったのか、結子には厳しかった。

 

わざと難しい問題をやらせ、できなかったら立たされた。

 

だからこの日も、校長先生に言われて、仕方なく来たのだろう。

 

先生とは、一言も言葉を交わさず、すぐに児童相談所の職員に連れて行かれた。

 

その後も両親が姿を現すことはなく、結子は、施設へ入れられた。

 

そんな結子だから、人を信じるという感情は、とっくの昔に葬った。

 

だから、浜木の申し出を受け入れることができたのだ。

 

人を信じないということは、人に傷つけられることはないということだから。

 

結子にとってこれが、自分を守る最良の手段なのだ。