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香取慎吾主演ドラマ「家族ノカタチ」から見る結婚観

香取慎吾主演のドラマ「家族ノカタチ」の最終回を見て、「こんな結婚なら、してみたい」と思った方も多いだろう。お互いの時間や生活空間を確保できて、自由を尊重する結婚スタイルは、現代の多くの人の共感を得るはずだ。

 

しかし、本当に結婚はそれでいいのか。自由を尊重してくれるなら結婚してもいい、と考える現代人が家族を持って、それは本当に家族として機能するのだろうか。

 

家族の誰かが助けを求めているときに、ちゃんと結束して、団結して、協力しあえる環境が整っていると言えるのか。個人的には、それは幻想にすぎないと思う。

 

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photo by franzudahhh

 

確かに結婚すると、自分の自由になる時間が減り、居心地の良い空間を奪われると考えている人は多いだろう。だから「結婚したくない男」が存在するのである。もちろん、独身生活が長い女性でも、同じようなことを考えている人はいるだろう。

 

しかしそれが、結婚というものだ。ちょっと窮屈で、密接した関係になるのが夫婦である。だからこそ、何か問題があったときに一緒に考え、力を合わせて乗り越えることができる。

 

夫婦とは、運命共同体なのである。

 

「家族ノカタチ」はあくまでもドラマであり、実際に困難を乗り越えたり、感動するシーンもあった。しかし、独身生活を謳歌している大介のような性格の男性が、いきなり血もつながっていない見ず知らずの子供を週6日も預かることができるだろうか。

 

ドラマの中では、素直で純真な男の子だったが、それくらいの時期は多感で、かなりむずかしい年ごろである。それをあんなに簡単に受け入れられるとは考えにくい。

 

疑問を持つ部分は他にもある。

 

ドラマの中で大介は、葉菜子のことをこう言っている。

 

「もし俺が結婚するとすれば、この人しか考えられないと思う人がいる」

このセリフである。

 

結婚が向いているかどうかは関係ない。ただ結婚するとなったときに、ここまでの気持ちで相手を思うことができるだろうか。そう思うためには、やはり密接な関係になって、絆を深めることが必要である。

 

「家族ノカタチ」のような結婚スタイルでは、絆を深めるどころか、溝の方がどんどん深まっていく気がしてならない。

 

なぜなら、お互いを尊重しすぎることで、相手がいなくても生きていけると感じられるからだ。

 

現代人がみんなそうとは言わないが、結婚に対して覚悟が足りないと感じる。簡単に結婚して、簡単に離婚する時代だから仕方ないのかもしれないが、家族になるというのは、そんな簡単なことではない。

 

大介が言うように、「結婚するなら、この人しかいない」と思える人とでないと、うまくいくはずがないのだ。

 

結婚をそんな簡単に考えているから、「結婚願望はあるけれど、結婚したい人がいない」とか、「結婚したくないけど、一生一人は寂しい」とか、平気で言えるのである。

 

「結婚願望はあるけれど、結婚したい人がいない」という人は、そもそも相手のことをしっかりと見ていない。どんな人にだって、長所と短所がある。でも高望みをしすぎて、「もっといい人」を探す旅に出てしまうのだ。

 

結婚願望があって、精力的に婚活しているなら、それ以上どこで出会うというのか。そもそも自分とは出会うことのないような人を求めているのではないか。

 

「結婚したくないけど、一生一人は寂しい」という人は、そもそも結婚をナメている。自分の寂しさを埋めるためだけなら、一生独身で、恋人がいれば良いではないか。

 

一生独身で過ごす覚悟もなく、結婚する勇気もない。

そんな人が、ステキな相手を見つけられるとは考えられない。

 

すでに結婚している人もそうである。

 

とりあえず結婚したけど、パートナーに満足していない人たちだ。

いつも不満ばかり言って、現状を受け入れようとしない。

「自分には、もっと他に良い人がいるかもしれない」という幻想を抱きながら、不倫相手を物色している。

 

そんな心構えで、もし夫がリストラされたら支えられるのか。もし妻が障害者になったら、一生添いとげることができるのか。

 

「そんなことなんて、そうそう起きることではない」

と考えているなら、まさに甘ちゃんである。

 

確かになかなか起きることではないが、もしそうなっても相手を支えることができるという覚悟を持つことが結婚するということ。すなわち「家族になるということ」である。